はじめに|障害福祉にも「生産性向上」という言葉が入ってきた
2026年8月27日、厚生労働省・こども家庭庁は、第62回「障害福祉報酬改定検討チーム」で、「令和9年度障害福祉報酬改定に向けた主な論点(案)」を公表しました。
その中で、今後の障害福祉サービス提供体制に関する論点として、
介護テクノロジー等を活用した「当事者視点に立ったケアの充実のための生産性向上」
が示されています。
「福祉の世界で生産性?」
と、少し違和感を持つ方もいるかもしれません。
生産性という言葉は、一般企業では、
「少ない人数で多くの仕事をする」
「作業時間を短縮する」
「コストを下げる」
という意味で使われることが多いためです。
しかし、厚生労働省が障害福祉分野で使っている「生産性向上」は、単純な人員削減や支援時間の削減を意味しているわけではありません。
2026年3月に厚生労働省が公表した「障害福祉現場における生産性向上の基本的な考え方」では、
支援を減らすことでも、人を減らすことでもない
という考え方が明確に示されています。
障害福祉の現場で目指すのは、
業務を見直し、職員が本来必要な支援に力を使える環境をつくること
です。
今回は、令和9年度報酬改定で「生産性向上」がどのような論点になっているのか、そして障がい福祉事業所の日々の運営や記録業務とどう関係するのかを整理します。
厚労省がいう「生産性向上」とは?
厚生労働省は、障害福祉における生産性向上を、
「支援者一人一人の力を引き出し、チームでその力を利用者に届けることで、新たな価値を生み出すこと」
と整理しています。
重要なのは、
職員を減らすこと
でも、
支援を簡略化すること
でもないという点です。
むしろ、
職員が書類作成や情報転記、重複入力、連絡調整などの間接業務に多くの時間を取られているのであれば、そこを見直す。
そして、その結果生まれた時間や余力を、
利用者との関わりや、支援内容を考える時間へ振り向ける。
これが、障害福祉分野で国が示している生産性向上の基本的な考え方です。
なぜ今、障害福祉で生産性向上が必要なのか
背景の一つに、人材確保の問題があります。
障害福祉サービスを必要とする人がいる一方、支援を担う職員を十分に確保することが難しい地域や事業所もあります。
この状況で、
「人が足りないなら、もっと採用すればいい」
だけでは解決できません。
だからこそ、
限られた人材が、本当に必要な業務へ力を使える環境をどう作るか
が重要になります。
厚生労働省も、障害福祉分野における人材確保が喫緊の課題となる中で、介護テクノロジーの導入、事業者間の連携・協働化、手続負担の軽減等によって、
- 間接業務の効率化
- 直接処遇業務の負担軽減
- 支援の質の向上
を進める方向を示しています。
令和9年度報酬改定でも「生産性向上」が論点に
2026年8月27日の「主な論点(案)」では、
物価変動への対応や福祉・介護職員の処遇改善などと並んで、
「介護テクノロジー等を活用した当事者視点に立ったケアの充実のための生産性向上」
が論点に挙げられました。
つまり、生産性向上は単なる現場改善の推奨事項としてだけではなく、
令和9年度報酬改定を検討する際のテーマの一つ
になったということです。
ただし、ここも慎重に見る必要があります。
現時点では、
「ICTを導入すれば新しい加算が取れる」
「ICTを導入しなければ減算になる」
「紙の記録は禁止される」
といった具体的な制度は決まっていません。
あくまで、令和9年度報酬改定に向けて検討する論点が示された段階です。
生産性向上=ICT導入、ではない
ここは、かなり重要だと思います。
「生産性向上」と聞くと、
電子記録システムを導入する。
タブレットを導入する。
AIを使う。
業務システムを契約する。
といった「新しいツールを導入すること」を思い浮かべるかもしれません。
しかし、ツールを入れただけで業務が効率化するとは限りません。
たとえば、
紙に記録する。
その内容をExcelへ入力する。
さらに別のシステムへ転記する。
という業務があったとします。
ここで新しいシステムを一つ追加しても、
入力先が4つに増えただけなら、生産性はむしろ下がります。
大切なのは、
「何のために、この業務をしているのか」
を確認することです。
まず業務を「見える化」する
厚生労働省が2026年に公表した「障害福祉現場における介護テクノロジー等導入・活用マニュアル」でも、業務改善を始める際には、
業務の見える化
や、
課題の整理
から始める考え方が示されています。
いきなり、
「このアプリを導入しよう」
と考えるのではありません。
まず、
- 職員がどの業務に時間を使っているのか
- 同じ内容を複数回入力していないか
- 毎回ゼロから作っている書類はないか
- 情報共有のためだけに長い会議をしていないか
- 特定の職員しか分からない業務がないか
- 紙でなければならない理由が本当にあるのか
というところを確認します。
そのうえで、
「この仕事は残す」
「この仕事はやめる」
「この仕事はまとめる」
「この仕事はデジタル化する」
と考えていく。
この順番が重要です。
障がい福祉事業所で起こりやすい「二重・三重入力」
事業所の業務で負担になりやすいものの一つが、情報の重複です。
たとえば利用者の情報について、
基本情報シート。
アセスメント。
個別支援計画。
支援記録。
モニタリング。
ケース会議録。
請求システム。
それぞれに同じ基本情報を入力している場合があります。
もちろん、それぞれの書類には目的があり、必要な内容も異なります。
しかし、
同じ情報を何度も手入力する必要が本当にあるのか
は確認できます。
また、
Wordで作る。
印刷する。
手書きで追記する。
それをスキャンする。
別のフォルダに保存する。
という業務が続いている場合もあります。
こうした小さな手間が積み重なると、職員の時間をかなり使います。
「記録を短くすれば生産性が上がる」ではない
一方で、記録業務を効率化するときに注意したいことがあります。
それは、
記録そのものを雑にすることを、生産性向上と考えないこと
です。
たとえば、
「作業しました」
「変わりありません」
「問題ありませんでした」
という一文だけにすれば、記録時間は短くなります。
しかし、それで実際の支援内容や利用者の変化が分からなくなれば、本末転倒です。
支援記録には、
- 実際にどのような支援を行ったのか
- 利用者にどのような様子があったのか
- 個別支援計画上の目標とどう関係するのか
- 次の支援で共有すべきことは何か
などを残す役割があります。
重要なのは、
必要な情報を残しながら、不要な入力や重複を減らすこと
です。
「良い記録の型」を作ることも効率化になる
記録業務の負担について、
「職員の文章力の問題」
だけで片付けてしまうのも適切ではありません。
毎日、
「何を書けばよいのか」
を職員一人ひとりがゼロから考えているのであれば、時間がかかります。
そこで、
- 利用者の様子
- 行った支援
- 本人の反応
- 変化
- 次回への共有事項
など、事業所として記録する視点を整理しておけば、
何を書くべきか迷う時間
を減らすことができます。
これは、文章を定型文で埋めるという意味ではありません。
むしろ、
記録するための視点を共通化する
ということです。
結果として、
職員ごとの記録のばらつきを減らしながら、業務時間も短縮できる可能性があります。
情報共有も「会議を増やす」だけではない
障害福祉では、チーム支援が重要です。
そのため、情報共有そのものを減らすことはできません。
しかし、
情報共有=全員を集めて長時間会議をする
とも限りません。
たとえば、
毎日の申し送りで共有するもの。
チャット等で共有できるもの。
記録システム上で確認できるもの。
定例会議で検討すべきもの。
緊急で管理者へ報告すべきもの。
を分けることができます。
すべてを同じ方法で共有しようとすると、時間がかかります。
情報の重要度や緊急性に応じて共有方法を整理することも、生産性向上の一つです。
「誰しか分からない仕事」を減らす
もう一つ、現場で大きな負担になりやすいのが属人化です。
たとえば、
「この加算の書類は○○さんしか分からない」
「国保連請求は管理者しかできない」
「研修資料の場所を知っているのは一人だけ」
「このExcelは作った職員しか修正できない」
という状態です。
その職員が休んだり退職したりすると、業務が止まってしまいます。
これは、個人の能力の問題というより、
組織として業務が整理されていない問題
です。
手順を残す。
保存場所を統一する。
様式を整理する。
誰が何を担当するのか明確にする。
こうした基本的なことだけでも、業務の安定性は変わります。
介護テクノロジーは「目的」ではなく「手段」
国は、障害福祉分野でも介護テクノロジーの導入・活用を進めています。
しかし、
テクノロジーを導入すること自体が目的ではありません。
たとえば、
見守り機器。
インカム。
記録システム。
勤怠管理。
情報共有ツール。
AI。
こうしたものは、使い方によっては大きな効果があります。
一方で、
「補助金があるから導入する」
「他の事業所が使っているから入れる」
という理由だけでは、現場に定着しない可能性があります。
重要なのは、
現在のどの課題を解決するために、そのツールを使うのか
です。
DXと生産性向上は同じではない
最近は「DX」という言葉もよく使われます。
しかし、デジタル化しただけでDXになるわけではありません。
紙の様式をそのままPDFにした。
手書きをExcel入力に変えた。
これもデジタル化ではあります。
しかし業務の流れが何も変わっていなければ、大きな改善にはつながらないことがあります。
私は、障がい福祉事業所でDXを考えるときには、
今の業務をそのままデジタル化する前に、その業務自体が必要なのかを一度考える
ことが重要だと思います。
不要な仕事を効率よくするより、
不要な仕事をやめる方が効果は大きいからです。
生産性向上で「支援時間を増やす」という考え方
障害福祉における生産性向上の目的を考えると、最も分かりやすいのは、
間接業務を減らして、利用者と向き合う時間を増やす
という考え方です。
たとえば職員が1日の中で、
記録。
転記。
集計。
印刷。
ファイリング。
書類探し。
連絡調整。
に多くの時間を使っていたとします。
その一部を効率化できれば、
利用者との対話。
支援方法の検討。
職員同士のケース共有。
個別支援計画の振り返り。
といった、本来の支援につながる業務へ時間を使える可能性があります。
これが、
「ケアの充実のための生産性向上」
という考え方です。
ただし、効率化には「やってはいけないこと」もある
効率化を進める際には、当然ながら守るべきラインがあります。
たとえば、
利用者ごとの支援記録をAIで一括生成し、実際に行っていない支援まで記載する。
過去の記録が不足しているため、後からまとめて事実と異なる記録を作る。
会議を開催していないのに、効率化のため議事録だけ作成する。
こうしたことは、生産性向上ではありません。
効率化するべきなのは、
事実を記録するための作業負担
であって、
事実そのものを省略・改変すること
ではありません。
テクノロジーを利用する場合でも、最終的には、
「実際に何が起きたのか」
「どのような支援をしたのか」
という事実が基本になります。
AIを使うなら「下書き・整理」に向いている
生成AIも、今後障害福祉現場で活用される可能性があります。
たとえば、
研修資料のたたき台を作る。
会議の論点を整理する。
文章を読みやすく整える。
業務手順書の構成を考える。
既存資料を整理する。
といった使い方です。
一方で、
利用者個人に関する支援記録や個別支援計画を生成AIへ入力する場合には、個人情報や機密情報の扱いにも注意が必要です。
また、AIが作った文章が事実と一致しているか、人が確認することも必要です。
「AIが書いたから正しい」ではありません。
便利な道具ですが、最終的な判断責任までAIへ渡すことはできません。
今、事業所が確認しておきたい5つのこと
令和9年度改定の具体的な報酬要件はまだ決まっていません。
したがって、
「新しいシステムを買わなければ」
と慌てる必要はありません。
今できることは、現在の業務を見直すことです。
1.同じ情報を何度入力しているか
記録、計画、会議録、請求、各種一覧表などで、同じ情報を何度も入力していないか確認します。
2.職員が時間を取られている業務は何か
「何となく忙しい」ではなく、
どの仕事に時間がかかっているのかを具体的に把握します。
3.その仕事は本当に必要か
長年続いている様式や手順が、現在も必要なのか確認します。
「昔からやっているから」だけで続いている業務がないかを見ることも重要です。
4.業務が特定の職員に集中していないか
担当者が休んだら止まる仕事がないか。
手順や保存場所を共有できているか確認します。
5.効率化で生まれた時間を何に使うのか
これが一番重要です。
時間を削ることだけを目標にするのではなく、
空いた時間を利用者支援のどこへ振り向けるのか
まで考えます。
「省力化」と「支援の質」は対立するものではない
福祉現場では、
「効率化すると支援が機械的になる」
という不安もあると思います。
その懸念自体は理解できます。
効率だけを追えば、利用者一人ひとりに合わせた支援が失われる可能性もあります。
だからこそ、国も、
単なる「生産性向上」ではなく、
「当事者視点に立ったケアの充実のための生産性向上」
という表現を使っています。
効率化する部分と、効率化してはいけない部分を分ける。
書類を探す時間は減らす。
同じ情報を転記する時間も減らす。
しかし、
利用者の話を聞く時間は減らさない。
ケースについて考える時間も減らさない。
むしろ、そこへ時間を戻す。
私は、この考え方が障害福祉での生産性向上を考えるうえで最も重要だと思っています。
令和9年度改定で報酬とどう結びつくかはまだ分からない
今後注目すべきなのは、
この生産性向上の考え方が、令和9年度障害福祉報酬改定で具体的にどう評価されるのか
です。
現段階では、
新しい加算が設けられるのか。
既存加算が見直されるのか。
テクノロジー導入が報酬算定要件になるのか。
どのサービスが対象になるのか。
といった具体的な内容は決まっていません。
したがって、今の時点で具体的な報酬変更を予想して対応する必要はありません。
今後の報酬改定検討チームの議論を確認する必要があります。
まとめ|「効率化」の目的は、支援する時間を取り戻すこと
2026年8月27日の令和9年度障害福祉報酬改定の「主な論点(案)」では、
介護テクノロジー等を活用した「当事者視点に立ったケアの充実のための生産性向上」
が正式な検討論点として示されました。
しかし、ここでいう生産性向上は、
職員を減らすことでも、
利用者一人あたりの支援時間を削ることでもありません。
国が示しているのは、
支援者の力を引き出し、その力をチームとして利用者に届けるための業務改善
です。
そのために、
重複した記録。
不要な転記。
探す時間。
属人化した業務。
非効率な情報共有。
こうした間接業務を見直し、必要に応じてICTや介護テクノロジーを活用する。
そして、生まれた余力を、
利用者との対話や、支援を考える時間へ戻す。
これが本来の方向性ではないでしょうか。
令和9年度報酬改定で具体的にどのような評価が行われるかは、まだ分かりません。
だからこそ今は、
「何のシステムを入れるか」
から始めるのではなく、
「今、現場の時間を奪っている仕事は何か」
を一度整理することが、生産性向上の最初の一歩だと考えます。
今後、報酬上の具体的な評価方法や新たな制度案が示された際には、当ブログでも一次情報を確認したうえで引き続き解説していきます。
一次情報・参考資料
・厚生労働省・こども家庭庁「令和9年度障害福祉報酬改定に向けた主な論点(案)」
・厚生労働省「障害福祉現場における生産性向上の基本的な考え方」
・厚生労働省「障害福祉分野における生産性向上・手続負担軽減」
・厚生労働省「障害福祉現場における介護テクノロジー等導入・活用マニュアル」
「忙しい理由」を整理して、
続けやすい運営の形を考えませんか?
「同じ情報を何度も入力している」
「記録や書類作成に時間がかかり、利用者と向き合う時間が減っている」
「業務が特定の職員に集中している」
「今のやり方を整理したいけれど、どこから手を付ければよいか分からない」
という場合は、まず現在の業務や運営を整理するところから始める方法があります。
行政書士田中慶事務所では、
記録・個別支援計画、運営書類、研修、職員の役割、業務の進め方など、
事業所ごとの状況や課題を伺いながら、
必要な支援内容と進め方を一緒に整理します。
※システム導入やICT製品の販売を目的としたサービスではありません。
※現在の業務や運営状況を確認し、必要な範囲で整理・改善方法を検討します。



