新年度の慌ただしさが一旦落ち着く、祝日の午後。
書類の山や加算の算定要件から少しだけ離れて、私自身の原点にある「支援の在り方」について、少しだけ独白のような話をさせてください。
障がい福祉の世界では、よく「共感」や「寄り添い」という言葉が使われます。特に私のように、うつ病という精神障がいの当事者としてこの業界に関わっていると、**「同じ苦しみを経験したあなたなら、相手の気持ちが分かるでしょう」**という言葉を投げかけられることが多々あります。
しかし、実務と自身の経験を重ね合わせる中で、私はある種の危うさを感じるようになりました。それは、「分かっている」という思い込みが、相手の尊厳を奪う「分かったつもり」という名の傲慢に変わる瞬間があるからです。
1. 診断名は同じでも、絶望は常に「個」のもの
私には、出口の見えない暗闇の中にいるような感覚や、社会から切り離されたような孤独感、思考が鉛のように重くなる感覚の蓄積があります。しかし、それはあくまで「田中慶」という個人の経験に過ぎません。
- 同じ「うつ」という言葉を使っていても、その痛みが「強い絶望感」として現れるのか、「無気力」として現れるのか、あるいは「激しい焦燥感」として現れるのかは、人によって全く異なります。
- その人が守りたかったもの、傷ついた経緯、そして回復へのペースも、誰一人として同じではありません。
「私も経験したから分かるよ」と安易に口にすることは、相手が必死に抱えている「その人だけの固有の痛み」を、平均化して塗りつぶしてしまうリスクを孕んでいます。
2. 専門家に求められる「良質なあきらめ」
私は、相手の苦しみを100%理解できないことに無力感を感じることがあります。しかし、行政書士として、そして当事者として支援の現場を構造的に眺めるうちに、一つの結論に達しました。
「人は、他人のことを完全には理解できない」という、良質なあきらめを持つこと。
それは、関係を断つための「あきらめ」ではなく、相手を一個の独立した存在として尊重するための「あきらめ」です。これが、本当の意味での支援のスタートラインではないでしょうか。「分からない」と認めるからこそ、私たちは相手の言葉の裏側にある微かなサインに耳を澄ませ、想像力を働かせ続けることができるのだと感じています。
3. 「ピア(仲間)」の真の価値は、答えを持っていることではない
私が考えるピア視点の価値は、相手の正解を言い当てることではありません。
むしろ、「答えが出ない、動けない時間」を、否定せずに隣で一緒に耐えられることにあると思っています。
- 「頑張れない自分」に深く沈み込んでいるとき、安易な励ましでその感情に蓋をしない。
- 制度の不条理に直面したとき、「仕方ない」と諭すのではなく、共にその不条理を見つめる。
この「共に居る」という構造こそが、孤立を解き、本人が自分自身の人生を再び選択し始めるための土台になります。
整理の視点:制度という「器」に、どんな「想い」を盛るか
私が行政書士として「構造」や「守り」にこだわるのは、精神的な浮き沈みや不安定な状況の中にこそ、「変わらないルール(制度)」という確かな防波堤が必要だと痛感しているからです。
制度という一見冷徹に見える器を整えること。そしてその中で、相手を「分かったつもり」にならない温かな敬意を持ち続けること。この矛盾する二つを両立させることこそが、私の目指す支援の形です。
まとめ|「分からない」から始まる対話を
4月の喧騒を抜けて、5月からの支援に向き合う皆様へ。
もし今、特定の利用者様との関わりに迷いがあるなら、それはあなたが「分かったつもり」にならず、一人の人間として真摯に向き合おうとしている証拠かもしれません。その問いを持ち続けること自体が、支援の質を高める一歩であると私は信じています。
新年度の歩みは、正解を押し付けることではなく、対話を通じて新しい構造を共創していくもの。
