「わかってほしい」の奥にある気持ち|障がい当事者として考えた支援と孤立

この記事は、誰かを責めるために書くものではありません。

障がい当事者である私が、これまで家族や支援者との関係の中で感じてきたことと、後になって気づいたことを、自分への戒めも込めて書くものです。

同じ障がいがあっても、置かれている環境や必要な支援は一人ひとり異なります。

私の経験が、すべての障がい当事者に当てはまるわけではありません。

それでも、「誰もわかってくれない」と感じている方や、支える側としてどう接すればよいか悩んでいる方に、何か一つでも届けばと思っています。

目次

支援を受けることは悪いことではない

障がいのある人が生活する中では、誰かの助けが必要になることがあります。

行政や福祉サービスによる支援、家族の手助け、職場での配慮など、その形はさまざまです。

私も、これまで多くの人に支えてもらってきました。今も一人だけで生活や仕事のすべてを成り立たせているわけではありません。

助けを求めることは、甘えではありません。

自分一人では難しいことを伝え、必要な支援を受けることは、生活を続けるために必要な行動です。

支援を受けるたびに、必要以上に申し訳なく思う必要もありません。

障がいのある人が支援を受けることは、特別な好意にすがることではなく、社会の中で生活するために必要な仕組みを利用することでもあります。

「支援されて当然」と感じ始めた自分

一方で、私はあるとき、支援を受けることと、支援を受けて当然だと思うことは、同じではないと気づきました。

誰かに助けてもらうことが続くと、それが日常になります。

日常になること自体は悪いことではありません。

しかし、私はいつの間にか、

「言わなくても分かってほしい」

「前にやってくれたのだから、今回もやってくれるはずだ」

「なぜ、この程度のことも理解してくれないのか」

と考えることがありました。

相手が支援してくれないことだけに目が向き、これまで支えてくれたことや、相手にも事情があることを見失っていたのだと思います。

不満は、言葉にしなくても態度に表れます。

返事が冷たくなる。相手の説明を聞かなくなる。少しの行き違いを、「自分を大切にしていない証拠」のように感じる。

その結果、支えてくれていた人との距離が少しずつ広がっていきました。

支援を受けているのに、孤立していく。

その矛盾した状況を、自分自身が作っていた部分もあったのだと思います。

「申し訳ない」と「当たり前」の間

では、支援を受けるたびに感謝し、申し訳なさを抱え続けなければならないのでしょうか。

私は、そうは思いません。

支援を必要とする人が、常に小さくなり、謝り続けなければならない関係は健全ではありません。

支援する側が上で、支援される側が下という関係でもありません。

しかし、

「支援を受ける権利がある」

ということと、

「目の前の人が自分の希望どおりに動いて当然である」

ということも、同じではありません。

支援制度として必要なことは、遠慮せず伝えてよいと思います。

十分な説明がないときや、合理的な配慮が行われていないときは、改善を求めることも必要です。

同時に、目の前の支援者や家族も、一人の人間です。

体調が悪い日もあれば、何をすればよいか分からず迷うこともあります。よかれと思った対応が、本人の希望とずれることもあります。

「してもらって当然」でもなく、「してもらって申し訳ない」でもない。

私にとって一番近いのは、「困ったときは、お互いに伝え合う」という関係です。

「当事者にしかわからない」と思っていた

私は、家族や支援者に対して、

「障がいのない人には、この苦しさは分からない」

と思っていた時期があります。

実際、当事者にしか分からない感覚はあります。

病気による苦しさ、身体や心が思うように動かない焦り、将来への不安、制度を利用することへの抵抗感。

これらを、経験していない人が完全に理解することは難しいでしょう。

「簡単に分かったようなことを言わないでほしい」

と思うこともありました。

その気持ち自体は、今でも否定していません。

しかし、あるとき私は、自分が「うつ病になった本人」である一方、「うつ病の家族」になった経験はないことに気づきました。

私は自分の苦しさを知っています。

けれども、大切な家族が苦しんでいるのを目の前にしながら、どう接すればよいか分からない人の気持ちを、どれだけ理解していたのでしょうか。

よかれと思って声をかけても拒絶される。

何も言わずに見守れば、冷たいと言われる。

助けようとしても、本人が何を望んでいるのか分からない。

家族や支援者にも、本人とは違う苦しさや迷いがあります。

私は、「自分の気持ちは分かってもらえない」と訴えながら、相手の気持ちを分かろうとしていなかったのかもしれません。

「わかってくれない」の奥にあった願い

「どうせ、誰もわかってくれない」

そう思うと、これ以上傷つかないように、自分から相手との距離を取ることがあります。

期待しなければ、失望もしない。

最初から理解されないと決めてしまえば、気持ちを説明する必要もありません。

しかし、本当は分かってほしかったのだと思います。

苦しいことに気づいてほしい。

無理をしていることを理解してほしい。

自分が何を怖がり、何に傷ついているのかを知ってほしい。

「わかってくれない」という言葉の奥には、「わかってほしい」という願いがありました。

けれども私は、その願いを言葉にせず、相手が察してくれることを待っていました。

そして察してもらえないと、「やはり誰も分かってくれない」と結論づけていました。

相手に伝えていないことまで理解してもらうのは難しいものです。

伝えたからといって、すべて理解してもらえるわけでもありません。

それでも、伝えなければ始まらないことがあります。

相手を思いやる余裕がなかった

過去の私は、「自分ばかりが大変だ」と思い、家族や周囲の人に冷たい言葉を向けたことがあります。

当時の自分が苦しかったことは事実です。

苦しさが強いときには、相手の立場まで考える余裕がありません。

そのため、過去の自分を一方的に責めたいわけではありません。

ただ、今振り返ると、家族や支援者も、どうすればよいか分からないまま、悩みながらそばにいてくれていたのだと思います。

完璧な支援ができなかったとしても、何とか支えようとしてくれていた人がいました。

私が拒絶しても、離れずに関わろうとしてくれた人もいました。

その姿が見えるようになったのは、自分の状態が少し落ち着き、相手の立場を想像する余裕ができてからでした。

支援は一方通行ではない

支援する側と支援される側は、まったく同じ責任を負うわけではありません。

専門職には専門職としての責任があり、事業所には法令や契約に基づいて適切な支援を行う責任があります。

本人が、支援者へ一方的に感謝しなければならないわけでもありません。

ただし、よりよい支援関係を作るためには、本人の意思を伝えることも重要です。

  • 何に困っているのか
  • どのような対応がつらいのか
  • どのような声かけなら受け入れやすいのか
  • 今は話を聞いてほしいのか、具体的に動いてほしいのか
  • 支援者の説明をどのように受け止めたのか

こうしたことを少しずつ共有することで、支援者も本人に合った対応を考えやすくなります。

支援者側にも、決めつけずに本人の言葉を聞く姿勢が必要です。

本人側にも、相手がすべてを察することはできないと理解し、伝え方を一緒に探す姿勢が必要です。

どちらか一方だけが努力するのではなく、対話を重ねながら関係を作っていく。

それが、一方通行ではない支援だと思います。

分かり合えない部分があっても関係は作れる

人の気持ちを完全に理解することはできません。

同じ病名でも、感じ方や生活への影響は異なります。

同じ家族の中でも、見えている景色は違います。

分かり合えない部分があることを、すぐに関係の失敗と考える必要はありません。

「すべては分からないけれど、分かろうとする」

「伝わらないことがあっても、伝え直してみる」

「相手の対応が自分の希望と違ったとき、すぐに悪意と決めつけない」

こうした小さな積み重ねで、関係は少しずつ変わることがあります。

もちろん、傷つけられる関係や、不適切な支援を我慢し続ける必要はありません。

必要なときには、担当者の変更や第三者への相談、支援機関の見直しも選択肢になります。

相手を思いやることは、自分の苦しさを我慢することではありません。

自分の気持ちを大切にしながら、相手にも自分とは違う立場があると考えることです。

まとめ

支援を受けることは、悪いことではありません。

必要な支援を求めることに、過度な罪悪感を持つ必要もありません。

一方で、支援を受けることが日常になる中で、目の前の人が自分の希望どおりに動いて当然だと思ってしまうと、関係が少しずつ苦しくなることがあります。

「誰もわかってくれない」という言葉の奥には、「本当はわかってほしい」という願いが隠れていることがあります。

その願いを相手に伝えること。

相手も、自分とは違う迷いや苦しさを抱えているかもしれないと想像すること。

そして、完全には分かり合えなくても、対話を続けてみること。

いつでもできることではありません。

苦しいときには、相手の立場まで考えられないこともあります。

それでも、少し余裕が戻ったときに、もう一度関係を見直すことはできます。

支援を、支える側から支えられる側への一方通行にしない。

互いに分からないことを認めながら、少しずつ伝え合える関係を作っていく。

それが、孤立を防ぐための一つの方法ではないかと、私は考えています。

支援では、本人の思いだけでなく、家族や支援者が抱える迷いも含めて、互いの状況を整理することが大切です。

障がい当事者としての経験を持つ田中慶が、相談者の言葉にならない思いを受け止める際に大切にしている姿勢をご紹介します。

ピア行政書士・田中慶の支援姿勢を見る
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