「頑張れない自分」を責めつづけた10年
10年勤めた会社では、何度も休職と復職を繰り返しました。復職のたびに、どこか肩身が狭く感じて、自分だけが「職場に合っていない」ような気がしていました。
それでも何とか頑張ろうとしていたけれど、心と体がついてこない。「また休職か…」という現実に向き合うたび、どんどん自分を責めていきました。
障がい者手帳を申請するまでにも、かなり時間がかかりました。自分を「障がい者」と認めることに対する強い抵抗があったからです。認めてしまったら、何もできない人間になるような気がして怖かったんです。
「居場所」に出会えた就労移行支援事業所
ようやく決意して就労移行支援事業所の門を叩いたとき、正直すごく不安でした。でも、そこには「今のままの自分でも受け入れてもらえる」安心感がありました。
誰かに評価されるでもなく、焦らなくてもいい環境の中で、少しずつ「できること」が見えてきました。
その後、トライアル雇用から障がい者雇用へとつながり、「もう大丈夫かもしれない」と思えた時期もありました。
でも、現実はそんなに甘くなく、再び体調を崩して退職。障がい者雇用での再就職もうまくいかず、「もうこの先はないんじゃないか」と本気で絶望しました。
「ランクダウンしていく自分」との向き合い
A型事業所との出会いは、「最後の砦」みたいな気持ちでした。
当時の自分にとって、福祉的就労に通うことは「さらに後退すること」のように思えて、正直すごく悔しかったです。
「なかなか前に進まない」
そんな風に、自分をまた責めてしまう日々。でも、A型事業所はずっと変わらず、同じように迎えてくれました。長期で休んでも、戻ってくる場所があるということは、思っていた以上に大きな支えになりました。
焦らなくていい。今はそれだけでいい。
そんな感覚を少しずつ取り戻すことができたのは、通所の積み重ねがあったからです。
「どうせ自分なんて」から「自分だからこそ」に変わった瞬間
少しずつ体調が安定してきた頃、「何か新しいことを始めたい」という気持ちが芽生えました。
資格の勉強に目を向けたのは、社会とのつながりをもう一度持ちたかったからです。でも、最初は「自分にできるはずがない」と思っていました。
それでも、毎日ほんの少しずつ勉強を続けるうちに、「ひょっとしたら、これまでの経験も、意味があるのかもしれない」と思える瞬間が増えてきました。
「制度だけではわからないことがある」
「当事者だからこそわかることがある」
そう気づいたとき、行政書士という資格にたどり着きました。
未来を考えられる自分に、ようやく出会えた
資格取得後は、また初めてのことばかりの毎日。事務所準備、書類の勉強、資金の心配…。それでも、不思議と「やめたい」とは思いませんでした。
きっと、それは今の自分が「未来を考えることができている」から。
長いあいだ、目の前の一日を生きることで精一杯だった自分が、「1年後、どうなっていたいか」と思えるようになった。それだけで、過去の自分とはまったく違うんです。
あれほど「無駄だった」と思っていた10年間も、今では行政書士としての支援に活かせる“強み”だと思えるようになりました。
だからこそ、僕にできる「寄り添い方」がある
今、僕はようやく「スタートライン」に立とうとしています。
でもここまで来るには、数えきれないくらいの迷いや葛藤がありました。そして、それを経験したからこそ、制度ではカバーできない「気持ちの揺れ」や「回復のリアル」が、少しだけわかるようになったと思います。
僕のように、何度もつまずいて、自分に価値がないと感じてしまう人は少なくないはずです。
だからこそ、僕は「できる人」じゃなくても、「その人のペースで進んでいい」と言える支援者でありたい。
誰かに寄り添いたいと思ったのは、誰かに寄り添ってもらった経験があるから。
それが、僕がピア行政書士を名乗る理由です。
※「ピア行政書士」とは、正式名称ではなく、当事者の視点をもち、気持ちに寄り添うことを目標としている私自身のなりたい理想像を言語化したものです。
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