≪【第1回】うつ病経験者が伝えたい「働き続けること」と「支援の重要性」:孤独な闘病から見えた本当のしんどさ≫はこちら
倒れて初めて、家族に知られる
復職していたある日、体調を崩して3日間自宅で倒れていました。会社が連絡を入れてくれたことで、母や兄に私の状態が知られることになります。
涙する母に、私は何も返せませんでした。ただ、「もう一人では限界だった」と、やっと気づけたのです。
母との同居、情けなさと無力感との闘い
その後、母と同居することになりました。最初の数ヶ月は、情けなさと無力感でほとんど何もできませんでした。
でも、ようやく病気と向き合う決意ができたのは、この時期だったと思います。
自分で探した「行政の支援」
退職後、体調を見ながら福祉サービスについて一人で調べ始めました。すると「就労移行支援事業所」という存在を知ります。
そこから、障がい者雇用、トライアル雇用、A型事業所と段階的にステップを踏みながら、少しずつ社会との関わりを取り戻していきました。ただ、その間も、好不調の波は襲ってきます。その為、障がい者雇用も退職、A型事業所も1つは退職しています。ただ、そんな中、本当にじれったくなるくらい少しずつ前に進んでいたんだと思います。自分自身も、周りの家族も、私のこの病気との向かい合い方を探り探りつかめてきていたのかもしれません。
支えてくれた人たちと、「働くこと」への思い
主治医、支援員、そして母。無理のないペースで働くこと、社会とつながり続けることの大切さを教えてくれました。
「働き続ける」ことは、フルタイムで働くことではありません。自分にできる範囲で社会と関わり、必要な支援を受けながら、安心して暮らす道もあるのです。今、私は48歳になります。考えれば、40代はまともに仕事ができていない期間となってしまいました。それでも、今、自分は前を向けています。まだ、通院もしているし、服薬もしています。完全に治癒したわけではありませんので、不安ももちろんあります。でも、あの時の『自分』を助けたい。あの時の『まわりの人』に恩返ししたい。その思いで、障がい者福祉分野の行政書士として一歩目を踏み出そうとしているところです。
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