はじめに:配慮って、誰かひとりに向けられるもの?
私は、現在行政書士の開業準備を進めながら、精神障がい者として就労継続支援事業所を利用しています。これまでに、就労移行支援やA型事業所、障がい者雇用など様々な制度や施設を経験してきました。
その中で、いつも「合理的配慮」の重要性を実感してきました。私自身も多くの場面で配慮していただき、とても助けられた経験があります。でも、ある時ふと気づいたのです。
「配慮される側」って、本当に受け身でいていいの?
「支援する側」って、完璧でなきゃいけないの?
今回は、私自身の経験をもとに、利用者もスタッフも「がんばりすぎていない?」と問いかけながら、“合理的配慮の本質”について、少し立ち止まって一緒に考えてみたいと思います。
利用者として配慮を受けた経験:ありがたいけど「申し訳なさ」も
私が初めて障がい者雇用として働いた一般企業では、その会社で初めての障がい者雇用という立場でした。周囲の皆さんは、合理的配慮について真剣に向き合ってくれて、私の体調や特性に合わせて柔軟に対応してくれました。
とてもありがたかった反面、こんな気持ちも芽生えてきました。
- 「こんなに配慮してもらっていいのかな」
- 「他の人に迷惑をかけていないかな」
- 「特別扱いされている気がして申し訳ない」
実は、合理的配慮を受ける側にも、気をつかう“見えないストレス”があるんですよね。
支援事業所での違和感:「配慮される側」と「配慮する側」の境界が曖昧に
その後、私はいくつかの就労移行支援やA型事業所なども利用しました。そこでも、利用開始時にはきちんと面談があり、「どんな配慮が必要か」丁寧に聞いてくれました。
ただ、一般企業との大きな違いがありました。
利用者は全員が、何らかの障がいを抱えているということ。
つまり、周囲も全員「配慮が必要な人たち」なのです。しかも、個人情報の観点から、他の人の障がい特性や苦手なことは分かりません。
そこで直面したのが、「自分も配慮されたい。でも、他の人にも気を配らなきゃいけない」というジレンマです。
私には「人から嫌われるのではないか」という強い不安感があります。だからこそ、周囲のちょっとした言動や視線に敏感になり、「相手に嫌な思いをさせていないか」と常に気にしてしまう。
これが積み重なると、ストレスになって、施設に通うのも億劫になってしまいました。
スタッフだって人間。理不尽な言葉に、傷ついていませんか?
一方で、支援事業所のスタッフの皆さんも本当にがんばっていると思います。利用者一人ひとりに合わせて対応しながら、記録や報告書、外部機関との連携…たくさんの業務を抱えています。
それでも、利用者から理不尽なことを言われたり、対応ミスで強く責められたりする場面も見てきました。
「スタッフなんだから、できて当たり前」
「障がい者の気持ちをもっとわかってよ」
そう言われて、スタッフの方が感情を押し殺している姿を、何度も目にしてきました。
私は思います。
支援者といえども、「聖人君子」ではありません。感情もあるし、疲れることもある。
誰かのために尽くしても、報われないことだってある。そんな時、「スタッフはプロだから仕方ない」で片づけられるのは、あまりにも酷だと思うのです。
気づいたこと:「配慮される側」と「配慮する側」は、分けられない
ここまでの経験を通して、私はこう思うようになりました。
利用者だから配慮されて当たり前。
スタッフだから対応できて当たり前。
そうやって“当たり前”を押しつけ合うのではなくて、相手がどんな立場でも、「この人も何かを抱えているかもしれない」と想像して接する。
それが、合理的配慮の出発点だと思うのです。
ひと息ついて、「がんばりすぎてない?」と問いかけてみて
利用者のあなたへ。
もし今、誰にも言えない「疲れ」や「モヤモヤ」を感じていたら、それはあなたが
です。
気をつかって当たり前、じゃない。つらいときは、休んでいいんです。
支援者のあなたへ。
もし、思わず涙が出そうになるくらいしんどい瞬間があったら、それはあなたが
です。
全部背負わなくていい。ひとりで抱えなくていいんです。
おわりに:合理的配慮の本質は、「誰かを特別扱いすること」じゃない
私は、障がい者として10年近く生きてきました。うつ病の診断から始まり、就労移行支援やA型事業所、障がい者雇用など、いろいろな制度や人の支えに助けられてきました。
そして今、行政書士としての開業準備を進めています。
自分が支援を受ける立場から、支援する立場へと一歩を踏み出す中で、心に強く残っていることがあります。
「自分は支援される側だ」と思い込んでいたけれど、
実は、自分も誰かを支える存在になれるのかもしれない――と。
私はこれから、障がいのある方にも、支援する福祉事業所のスタッフの方々にも、どちらにも伴走できる行政書士を目指していきます。
「がんばりすぎているかもしれない」その声に気づける存在でありたいと思っています。
合理的配慮は、誰かを特別扱いするためのものではありません。
目の前の人を「ひとりの人間」として、想像し、尊重し、思いやること。
それが、がんばりすぎない共生社会の出発点なのだと、私は信じています。
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