「レッテルを貼ることの怖さ」──人を理解することに効率はない

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無意識に、僕たちは人を“カテゴライズ”している

「うつ病」「障がい者」。
これらは、僕が日常的に貼られる“ラベル”です。

でも、これは決して障がい者やマイノリティだけの話じゃありません。
誰でも、初対面の人を見るとき、無意識に「この人は○○っぽいな」とカテゴライズしていませんか?

なぜ、そうするのか。
僕なりに考えた答えは「その方が早いから」です。
効率的にその人を理解できる気になれる。
たとえば、
・「若い女性」=○○なタイプ
・「高齢男性」=××な価値観
──そんなふうに、自分の中の“データベース”に当てはめて、手っ取り早く「理解したつもり」になっている。

「障がい者」のラベルは、理解の放棄かもしれない

でも、そこには大きな落とし穴があります。

「障がい者」というラベルを貼った瞬間、
その人をそれ以上知ろうとすることを、僕たちは無意識にやめてしまう。

実際、僕も自分が「うつ病で障がい者」と伝えた途端、相手の態度が変わることを何度も経験しました。
急に気を遣われたり、距離を取られたりする。

もちろん、すべてを否定するつもりはありません。
前に見た医療系のショート動画では、
「患者を“病名”で覚えてしまうのは医者あるある」という話がありました。
これは、ある意味合理的です。効率も大事だから。

でも、問題はそこからです。
「この人は、障がい者だからこういう人だろう」
うつ病の人は、きっとこういう性格だろう」
そうやって、最初のラベルだけで“その人そのもの”を見なくなるのは、とても危険です。

「レッテルの向こう側」に、本当のその人がいる

僕は、「うつ病」で「障がい者」です。
でも、その前に「田中慶」という、一人の人間です。

人には誰しも、キャラクター個性があります。
確かに、ある程度のカテゴライズは役立つこともあるし、統計的に傾向があることも事実です。

でも、「効率よく人を理解しよう」とする行為は、
その人の本質を見落とすリスクも高い。

そして本当にその人を理解するためには、
面倒くさいくらいに時間をかけて、対話して、知ろうとする姿勢が欠かせない。
そこに「効率的な近道」なんて、きっと存在しない。

結び──あなたは、誰かをラベリングしていませんか?

この記事を読んでくれたあなたも、きっとこれまでに
「つい、ラベルを貼ってしまった経験」があるはずです。

それは、悪意からじゃない。
でも、気づかないうちに相手を傷つけてしまっているかもしれない。

僕はこれからも「田中慶」として、
人の個性を見ようとする姿勢を大切にしたいと思います。

あなたは、どうでしょうか?

障がい名や診断名だけで人を見るのではなく、その人自身の個性や想いを知ろうとすることを大切にしています。

当事者としての経験と、行政書士として障がい福祉に向き合う田中慶の考え方や背景をご紹介しています。

田中慶のプロフィールを見る

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この記事を書いた人

大阪市を拠点に、障がい福祉事業所の記録・個別支援計画、運営書類、法定研修、制度対応などの整理と運用を支援する行政書士です。
自身の福祉サービス利用経験と福祉現場での経験を踏まえ、制度の内容を解説するだけでなく、事業所、ご本人、ご家族が「次に何を確認し、どう動けばよいか」を分かりやすく整理することを大切にしています。
本ブログでは、障がい福祉の制度改定、事業所運営、支援記録、個別支援計画、親なきあとに関する制度・法務などについて、現場で役立つ視点から発信しています。

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