今回のブログは、私が、今まで20数年間、お仕事をしてきたなかで、考えてきたことについて、お話をします。私は、ぐうたら人間ですので、「楽して生きたい」とずっと思ってきた人間です。そんな自分でも、仕事をする限りは、以下の考えは必要なのかなって考えています。これは、「仕事(義務)⇔時給(権利)」のお話として書きましたが、身近なところでにもいろいろな「義務⇔権利」があります。その時に、どのような捉え方をするのかというお話です。
働くって、「何かを返すこと」かもしれない
「時給1,200円って、安くない?」
「それだけしかもらえないなら、やる気出ないよ」
そんな声を聞くことがあります。確かに、今の物価や生活費を考えると、1,200円ではやっていけないという感覚も理解できます。
でも、ちょっと別の角度からも考えてみませんか?
「自分の仕事は、1時間で1,200円の価値を生み出せているだろうか?」と。
ここでは、「給料は権利だけど、義務の対価でもある」というシンプルで普遍的な視点から、労働と報酬の関係について考えてみたいと思います。
時給1,200円の仕事、あなたならどこまでやる?
Aさんは、時給1,200円をもらう以上、それに見合う働きをしたいと考えます。
たとえば、1時間で1,200円分の価値を生むような作業効率や成果を意識するわけです。
一方でBさんは、「たった1,200円か。モチベーション上がらないな」と考えるかもしれません。
これは、どちらが正しいという話ではありません。問題は、「給料=権利」とだけとらえる視点のままでいいのか?という問いかけです。
会社が払っているのは“時給”だけじゃない
給料(会社のコスト)は、時給で見ると1,200円かもしれません。でも、会社が実際に払っているコストはそれだけではありません。
- 雇用保険、社会保険の会社負担分
- パソコン、デスク、椅子、文房具などの備品
- 冷暖房や照明などの光熱費
- 机1つ分のオフィススペースにかかる家賃
- 研修や教育の時間・人件費
これらをすべて含めると、1時間の労働に対して会社が負担している金額は、実は1,500円〜2,000円以上になることも珍しくありません。
つまり、時給1,200円の人には、会社として“最低でもその倍近い価値”を期待しているのが現実です。
「権利」だけを強く主張していないか?
これは障がい者の話でも、健常者の話でもありません。誰にでも当てはまることです。
・障がい者だからもっと優遇されて当たり前
・健常者ばかり損していて不公平だ
そうした“声の大きさ比べ”に巻き込まれる前に、考えたいのは、「自分は、もらっている分を返せているか?」という問いです。
社会の中で「守られる立場」「支援される立場」であっても、「働く」以上、何らかの義務や責任がある。
逆に「義務ばかり押しつけられている」と感じる人も、自分の働きが他者を支えているという誇りを持つ権利があります。
“返す意識”があれば、対等な関係が築ける
働くことは「何かを返すこと」。
もらうだけじゃなくて、返すことを意識する。
それは、給料の額以上に大事なことです。
この意識があれば、働く側も会社側も対等に向き合える。
一方的な“被害者”や“モンスター”にならないで済む。
あなたが何者であっても、誰であっても、この社会で働いている限り、「権利と義務」をセットで考えることが、よりよい関係性をつくる第一歩になるのではないでしょうか。
まとめ|“もらう側”ではなく“つくる側”になる意識を
もらうことは大切。でも、それが当たり前になってしまうと、感謝や責任の意識が薄れていきます。
働くということは、社会に価値を返すこと。だからこそ、時給1,200円の重みを、自分なりに考えてみることはきっと意味のあることです。
あなたは、その1時間で何を返しますか?
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